ウグイス考 「古代の鶯」 TopNatureウグイス考

うぐいす色(鶯色)の怪 うぐいす色(鶯色)の歴史(1) 絵画におけるウグイスの色
「梅に鶯」本当は「梅に目白」というウソ うぐいす色(鶯色)の歴史(2)
花札の鶯 うぐいす色(鶯色)の歴史(3)
古代の鶯 うぐいす色(鶯色)の歴史(4)

付録 梅にメジロを描いて「梅に鶯」としている日本画が多いって本当?
ウィキペディアの記述 <古来絵画にある「梅に鶯」の主題を見ても、「梅に目白」を描いてしまっている日本画家も多い>
が正しいか実在の日本画で検証
梅に鶯」は中国から渡ってきた文化か
このようなことが書かれたサイトを拾い出し内容をチェック 中国から渡ってきたと言う根拠は何か

 「古代の鶯」    ウグイスは変わらない
 ウグイスの居場所

「梅に鶯(うぐいす)」というのは人が作った組み合わせであって、ウグイスが梅の花を好むとか、梅がウグイスを必要としているという内容ではありません。当然のことですが、梅が大陸から日本に持ち込まれる前からウグイスは日本に棲息し、現在と同じようにオスは春から秋近くまでホーホケキョと囀(さえず)っていたはずです。
和歌の解説などに「梅に鶯」と言われるようになる前は「竹に鶯」であったなどと書かれていることありますが、文学的表現としてそのような「はやりや傾向」があったことも定かでなく、「梅に鶯」のモチーフが登場する前に「竹に鶯」のモチーフがあったかのような表現は良くありません。それらの論は「竹に鶯」の組み合わせの作品が時系列の上で「梅に鶯」の前の時代にに位置していたかどうかの考察がありません。雰囲気として語られているようです。梅と鶯が同時に読み込まれている歌ができた頃より以前に竹に鶯が読まれていた時代があったという記録もありません。(注1)
わざわざ「梅に鶯」の前は竹と組になっていたかのように述べるのは間違いです。「梅に鶯」は人が文字の上に作った組み合わせで、それ以前はそのような言葉がなかっただけです。もともと竹藪とその周辺はウグイスの存在確率が高いということはありますが、ウグイス自身は環境の質が竹であることより藪であることに重きを置いた生活をしています。
ウグイスは梅がいい、竹がいいなどえり好みしません。ただ、開けていて人目に付く場所より、食料となる虫の居そうな所で、かつ身を隠せる木々の間や藪の中に滞在する時間がずっと長のです。
「梅に鶯」と言われるようになった後も、前も、そうした条件の同じような所にウグイスはいるのです。

本来は「竹に鶯」だと言いたい人は、しかしやはりウグイスを梅の木で見ることは滅多にない、と反論のつもりで語ります。それは当然です。もともと「梅に鶯」はウメにウグイスが来るという意味ではないのですから。では、竹林ではよく見かけますかとその人に尋ねたら、やはり竹林でも見たことはない、となるでしょう。竹林を通してウグイスの囀りを聴くことができたとしても。(注2)
実際、竹林でウグイスを見た人はどれほどいるのでしょう。竹林でウグイスを見つけるのは、ウメの木で見つけるより困難です。竹林の茂りは高く、深く、花時の梅林よりもずっと見通しの悪い所だからです。
それでも、竹林を散策するとウグイスの声を聞くことがある、と言うでしょう。声がするというのは、ウグイスがそのあたりを徘徊していると言うことで、生活圏の一部ではあります。しかし、同様にその頃の梅林を散策すれば、そこでもウグイスの囀りを聞けるでしょう。花が終わった後の青々と繁る梅林は、一般の人が余り近づかない所ですが、ウグイスはやって来ています。ウグイスの声は良く通るので木々の茂る付近では他所でも普通に聞くことができます。竹林でウグイスの声が聞こえるのは事実ですがそこがウグイスのすみかではありません。繁殖期のオス一羽が縄張りの一点を示しているに過ぎません。

ここで、竹林を竹藪に置き換えると、竹藪はウグイスが好んで巣作りをする場所と言うことは出来ますが、やはり藪の中、姿を見るのは困難になります。しかも、巣作りをするメスは囀りません。視覚だけで確認することは容易ではありませんし、いわゆる「梅に鶯」のホーホケキョと鳴くウグイスはオスで、複数のメスがいる竹藪の中ではそれほど鳴かず、周辺の少し高めの木々を渡りパトロールしています。
結局、竹藪でもウグイスは容易に見つけることができません。

言葉のあやになりますが、文芸や絵画で「梅に鶯」と言った場合、「梅花に鶯」の意味になることが多く、そこで、ウグイスの存在確率を「梅花」と「竹藪」で比較すると「梅花」にウグイスが来る確率は圧倒的に低くなります。
梅花の時期、梅の木には葉がなくウグイスは身を隠せません。理由はそれだけです。梅の花が散り葉が茂ってくるとウグイスはウメの木によく来ます。餌となる青虫などがウメには多いのです。
ただ、この時期、ウメの木の茂りは竹藪よりさらに見通しの悪いものになり、結局は、「ウメの木でウグイスを見ることはまずない」となります。

もともと、生物としてのウグイスの居場所に梅を特に取り上げる必要はないのですが、世間では両者の自然での関わりにこだわる人々が居るようです。
     ウメにウグイスは来ないのに「梅に鶯」と言うのはおかしい、と
6月 ニセアカシアが茂ってくるとウグイスは見つけにくくなります。 7月 ウメの葉隠れのウグイス。蛾を啄ばんでいます。竹林より虫が多いのでウメの木にはよく来ます。
木々が茂ると横方向からは見えず木の下に回り込んで探さなければなりません。それでもウグイスが木の上の方にいれば下からは見ることが出来ません。

 囀り(さえずり)

上述ように「ウグイスの姿は滅多に見ない」と人々に言わしめているようですが、例外的に繁殖期のオスが縄張り宣言として囀る場合は、そこが開けた場所になることもあり、結果的に人目に付きます。しかし、ウグイスの姿がはっきり見える期間は、木々の葉が少ない春先だけです。したがって、春先にウグイスの声をたよりに探せば高い確率で姿を見つけることができます。初夏を過ぎれば囀りは生い茂った木の高い所なので声はすれども姿は見えない状態になります。
ウグイスは春にしか居ないと思っている人、あるいは春にしか鳴かないと思っている人もいるようですが、ウグイスはその人の思い通りにはならずに、オスは夏も秋近くまでホーホケキョと鳴きます。ただ、囀りは春の季語なのでそういう人のウグイスへの思いは春から離れないのかもしれません。俳句では春を過ぎてしまうと老鶯と言われますが、囀りは続きます。
4月初旬、夏にはクズの茂る藪ですが葉がないので囀りが丸見えです。 5月初め、いよいよ大音量の囀り。住宅地では電線の更に上の雷よけの線(架空地線)をよく使います。


 笹鳴き

ウグイスは秋から翌年の春先まで囀ることをしなくなりますが、笹鳴きと言う鳴き方をします。ホーホケキョほど大声ではなく、チャッチャッ あるいは ジャッジャッ と、スズメの鳴き声と舌打ちを混ぜたような音です。たいていの人はウグイスが鳴いていることに気づかないようです。この笹鳴きのウグイスの場合でも、じっと動かずに観察しているとひょいの藪から姿を見せることがあります。でも、この場合は声のする方にカメラを向けて準備しておかないと、藪の中にすぐに引っ込んでしまいシャッターチャンスを逃します。
笹鳴きのウグイスの姿を捉えると、何か良いものを拾ったような気分になります。


 採餌行動

ウグイスが藪の中で何を食べているのかほとんど見ることはできませんが、昆虫やクモを食べるというのが定説です。冬になると餌が少ないのでしょう。住宅地巡りをして庭の柿や餌台の蜜柑をつつく姿を見かけることもあります。
ウグイスは移動のときほとんど羽音をたてません。藪の中でも羽が枝に触れることなく、動き回るがさがさという音もあまりしません。ただ止まっている枝の先が微妙に震えているのが藪の外から分かります。あの震えている小枝の下の方にウグイスがいるらしいと分かりますが姿は見えないことが多いです。
繁殖期のオスは囀りながら餌を探すことがあります。ベテラン?のオスでしょうか、高所での正式な囀りの時よりはトーンが落ちますが、枝から枝へ渡りながら虫を探しその間に囀りもします。囀りは体力を消耗するのでこまめに栄養補給する必要があるのでしょうか。忙しそうです。
初冬、樹上に残った柿をついばむのが見られます。 2月、餌が乏しく住宅地にも来ます。
知らない人にとってはスズメみたいな鳥です。

 人とのかかわり

ウグイスは春夏はホーホケキョと囀り、他の季節はチャッチャと笹鳴きします。
だからウグイスを見てやろうと思って探すと案外たやすく見つけることができます。何しろ鳴き声で居場所を知らせてくれる生き物なのです。
とは言うものの、通勤の途中やハイキングに行った先で、タンポポやスミレを見つけるようにウグイスに会えるかと言えば、よほどの運に恵まれる必要があります。そして、その様な幸運に恵まれなかった人々も容易に目にすることができるのがメジロです。通勤の途中やハイキングに行った先々で、メジロは勝手にウグイスと見間違えられ、きちんと調べられることもなく、「ウグイスだ」、「ウグイスを見た」と騒がれます。
「ワーきれい」、「わーかわいい!」で済んでしまう自然愛好家、それ自体は決して悪くないのですが、自然を調べたり理解しようとしない、こうした安易な人々が参加することによってネット上のウグイス-メジロ混同説の支持者層は増加します。

ウグイスは多分、ヒトがこの列島に住むようになる以前から、「ウグイス」と呼ばれることもなく、この地で繁殖し、囀っていたでしょう。
やがて、この地にヒトが住むようになって[ugufisu]あるいは[ugupichu]かそれに近い発音で呼ばれ、その後、万葉仮名で宇具比須と呼び名に対する字を与えられることになりました。

縄文、弥生、奈良・・・・現代、人はずいぶん変わりました。
しかし、ウグイスはちっとも変わっていません(多分)。

 漢字「鶯」が意味するもの

----ウグイス:名前の由来----
ウグイスはその鳴き声から名づけられたというのが定説です。
私達が今日<ホーホケキョ>と聞いている鳴き声は
古代人には<ウーウグピ> と聞こえたらしいのです。ウグイスの<ス>は鳥を表す接尾でカラス、ホトトギスなども鳴き声プラス<ス>として名前が付けられています。現代この命名法に従ってこの鳥を名付けるとホケキョスになります。 ホケキョスだと語呂が悪く「梅にホケキョス」という組み合わせは「梅にウグイス」のような成句にはならなかったかもしれません。
現在の表記「ウグイス」は「ウグヒス」の音便化でその前の時代の万葉表記では宇具比須、それよりさらに前は文字がなく ugupichu~ugufishuに近い発音で語られていたと考えられます。
ローマ字で鳴くと hoooo hokekyo(今) ≒ uuuu ugupi(昔) 
抑揚は似ているようですが、そのように聞こえるかはなんとも言えません。古代言語の発音体系に馴染んだ耳にはその様に聞こえるかもしれないと推定するのみです。
サイトによっては聞きなしを<ウウウウ ウグイ>としているところもあるようですが現代仮名遣いの書き文字を千年以上前の発音に当てはめる過ちをしています。万葉仮名で「宇具比須」の「比」はピ~ビの発音です。

----漢字も仮名も漢字だった時代----
さて、漢字が中国から渡ってきたとき、それは中国語を表すための文字でした。
漢字は中国語を中国語で書き留める文字、当たり前ですが、それだけの用途のための文字でした。しかし、漢字が渡来して万葉集が出来るまでの三~四百年の間にやまと言葉に漢字を利用する方法が工夫されました。最初は渡来人がやまと言葉を覚えるために やまと言葉の発音を漢字で表し、ミニ単語帳のようなメモを作ったでことでしょう。そのようなことから漢字の表音的使用が始まり、それを逆利用する形で日本人がやまと語の言葉の並びに表音漢字を当てはめた、という筋書きが自然発生的で妥当と考えられます。
日本人は最終的に、中国語の文章すなわち漢文の日本語読み化(漢文訓読)、と日本語のアイウエイオを漢字で書き留める万葉仮名とを開発しました。
この二通りの漢字利用に加え、後には仮名を発展させ、カタカナとひらがなを発明しました。
万葉仮名で「宇具比須」は現代の我々にも旧仮名遣いの「うぐひす」にそのまま読み替えられます。
当時の仮名は一つの音に対していく通りもの漢字が当てられる場合もあって、ウグイスは「宇具比須」や「于遇比須」と書かれていました。
同時に、べた仮名書き以外に表意文字としての漢字を織り交ぜ、現在の漢字仮名混じり文と類似する文章構成ができるまで日本語記述力が向上しました。万葉集ではウグイスを「宇具比須」にしたり「鶯」の字を当てたり、いろいろです。「宇具比須」以外の単語に関しても、同一の作者が仮名で書いたり、漢字(表意)を当てたりすることが見受けられ、気分による使い分け、あるいは、状況に応じての使い分けがあったのかもしれません。

万葉集 全部仮名書きの例
05/0824 烏梅乃波奈 知良麻久怨之美 和我曽乃々 多氣乃波也之尓 于具比須奈久母[小監阿氏奥嶋]
    うめのはな  ちらまくをしみ わがそのの たけのはやしに うぐひすなくも

     梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林に鴬鳴くも

漢字交じりの例
10/1820 梅花    開有岳邊尓   家居者   乏毛不有     鴬之音
    うめのはな さけるをかへに いへをれば ともしくもあらず うぐひすのこゑ

      梅の花咲ける岡辺に家居れば乏しくもあらず鴬の声

----「鶯」=「宇具比須」----
中国で鶯と書けば日本のウグイスとは違う鳥を指します。現代の和名では「コウライウグイス」(注3)と言いますがウグイスとは無縁の鳥です。春に大きな声で囀る共通点はあるものの色も大きさもウグイスと異なります。ウグイスと無縁の鳥を○○ウグイスと呼ぶのはおかしなことではありません。蘭とは無縁な植物に君子蘭という名を付けるようなものです。
ウグイスに鶯の字を当てた真のいきさつは判りません。中国の鶯が日本のウグイスと違うのに同じ漢字を当てたので混乱を生じたなどという人もいますが、その当時どんな混乱が生じたのかは言ってくれませんし、もともと日本にはコウライウグイスはいないので国内では混同することもありません。キジななども日本固有種で中国雉とは違いますが混乱しません。所変われば品変わると言われるとおりです。

私は鶯と言う字にウグイスという意味を当てた古代人は賢明だったと思います。
例えばつぎの漢詩の中で名も知らぬ鳥が鳴いていると読むこととウグイスが鳴くと思うこととどちらが理解が深まるかと言うことです。

杜牧 江 南 春

千里啼緑映紅 水村山郭酒旗風 南朝四百八十寺 多少楼台煙雨中

千里鶯(うぐいす)啼いて緑紅に映ず 水村山郭酒旗の風 南朝四百八十寺 多少の楼台煙雨の中

広大な風景、点在する村々と人々の生活 のびやかなウグイスの声、明るい春色グラデーション
鶯をウグイスと訳すと理解がなめらかです。

鶯は、本当は見たこともない鳥だからと言う理由で
千里鶯(オウという鳥)啼いて緑紅に映ず 水村山郭酒旗の風 南朝四百八十寺 多少の楼台煙雨の中

と読んでしまっては興ざめです。
鶯にウグイスの意味を与えずに、見知らぬ鳥としてこの詩を読むと、イメージが膨らむでしょうか?
局部的正確さを欠いても総意と雰囲気を伝える手法は映画の吹き替えや外国書物の翻訳で頻繁に使われます
 まとめ

「古代の鶯」というタイトルで書き出しましたが、結局ウグイスは今も昔も変わらない(たぶん)
と言うことでした。



(注1)


「竹に鶯」
万葉集の118首に梅が、51首に鶯が登場します。梅と鶯が共存するのは13首、竹と鶯が共存するのは3首です。竹の3首が梅の13首より時代的に先ということはありません。
梅に鶯の組み合わせが始めて登場した懐風藻の中でも鶯は梅、蝶 花 松風、竹林風というそれぞれの単語と同一詩上に登場しますが、文献をつきあわせて調べても特に「梅に鶯」というモチーフの前に「竹に鶯」のモチーフがあったと言える状況はありません。
従って、
「梅に鶯」と言われるようになる前は「竹に鶯」であった
には根拠がありません。

そもそも、[梅に鶯」は人が作ったモチーフで自然界のウメとウグイスとの関わり合いとは無縁なのです。[梅に鶯」は人にとっての<早春の美と喜び>の表現手段として登場したモチーフですから、それ以前は「竹に鶯」だと言うなら「竹に鶯」のモチーフあったことを証明しなければなりません。
仮に、文学的表現を離れてウグイス本来の自然な姿が「竹に鶯」だという意味であるなら、[梅に鶯」と言われるようになる前も後も「竹に鶯」である、と言うべきです。
ウグイスと自然の関わり合いは人が「梅に鶯」というモチーフを作った後先で変化していません。

さらに付け加えるなら、「竹に鶯」の主張者の「竹」は竹林を指していることが多く、そこでもウグイスにとっての竹がどのような種類であったかの考察が抜けています。  次欄参照↓


(注2)


竹林と竹藪
(参考書) 技術に国境はあるか-技術移転と気候風土・社会  著者:富田 徹男

竹林を構成するマダケ、ハチクは当時希少なものでした。(孟宗竹導入は遅く17世紀以降)『古事記』・『万葉集』の頃の大型の竹は貴重品で、一部の竹職人衆の所有を除いては皇室や貴族階級が竹を独占的に持っていたと考えられます。
万葉集で竹が詠まれた歌は18首ありますが、はっきり竹林と判るものは2首、他は小竹なよ竹などと枕詞のさす竹です。
枕詞の「さすたけ」が「大宮人」などにかかることは、天をさす大きな竹林が権力者をイメージさせるにふさわしいことの現れと解釈できます。
マダケやハチクのような太く大きな竹の林は万葉の時代、近畿のあたりでは貴族の庭園などに限られており、その他は竹藪の竹、すなわち篠竹(小形の竹)の類であったと理解せねばなりません。
現在では裏山の竹林でタケノコを掘る農家はざらにありますが、当時は身分の高い人の屋敷にしかないことが多く ~我が園の竹の林に~ などと詠むのはセレブな内容で、いささか自慢げなことだったでしょう。
「梅に鶯」を論じるとき万葉の時代、竹林(竹藪ではない)は特別な存在だったことは意外と考慮に入れられていません。大型の竹もまた、貴族にとって中国文化に関わる大切ものとして梅同様に意識する植物だったでしょう。梅花の宴をしたり、竹林を自慢したり、中国文化の影響として取り上げるとしても、鶯の相手が、梅の前は竹であったなどと時系列で示せる証拠はありません。
また、ウグイスと竹を論じるときにウグイスが竹藪(笹やきわめて低い竹藪)に巣を作ることを知らず、あたかも竹林に巣を作るという発想で文学論を展開する人がいます。文学それ自体はフィクションであってかまわないのでフィクションとして論評すれば良いところに、変に自然の営みや時代考察を絡ませ考古学的に論じる場合(例えば「竹取物語」の解説など)には、文学と自然をリンクさせる時点で齟齬が生じ得ます。
通常、ウグイスは竹林(竹藪ではない)では巣をつくりません。竹林を通してウグイスの囀りが聞こえることはありますが、それはウグイスが好んで竹林に住み着いていることではありません。ウグイスは地上1メートル前後の低い位置に巣を作りますが、竹林を構成する大型竹類は地上数メートルまでは枝を出しません。巣を作る取っ掛かりがないのです。

竹林の縁に当たる部分の高所は周辺を見渡せる位置なので、囀りの好位置ではあります。ウグイスのオスに取っては縄張り巡回の立ち回り先となっていることはあり得ます。ただし、それは立ち回り先の一つに過ぎません。

竹林、竹藪、竹、笹、・・・・言葉の意味
竹藪も竹林の一形態だという認識もあります。それは間違いではありません。それで説明したり理解することが十分な事例ではそれでよいのです。しかし、それでは不十分な場合もあります。
<竹藪>のことも含めて竹林と表現している人の文章はウグイスと竹との関係の説明が曖昧になります。つまり、ウグイスと竹との関係を説明するに当たっては竹林と竹藪の違いが重要であることを、その人は理解出来ていないことを示しています。
藪は植物の茂りが歩行を困難にしている所です。藪を作る植物は何でもかまいませんが、竹藪の場合、小さな竹や笹の単一種やそれらと他の植物の混在など、成り立ちは大ざっぱです。例外的に、竹加工品や筍など竹を生業とする人は、手入れの行き届かなくなった放置竹林を竹藪、藪になったと言います。地面が倒竹で荒れて歩行困難なるからです。
<竹林>は中を散策できるような竹の林をイメージすると良いでしょう。竹林で画像検索すると遊歩道まで付いてるのがありますが・・・
笹は竹の仲間ですが竹とは植物学上区別されます。しかし、日常生活の上では大ざっぱに言って大きいのが竹、小さいのが笹です。種類によっては笹より小さい竹もあります。
七夕のときは竹の小枝を笹と呼んだりします。
笹は国字(日本で作った漢字)で中国では竹の範疇です。強いて言うなら小竹です。


(注3)


コウライウグイス
黄鸝基本資料  http://www.hudong.com/wiki/%E9%BB%84%E9%B9%82

中国では、黄鸝、黄鶯、黄鳥、などの別名があり、日本ではウグイスと区別して言う場合に過去にはチョウセンウグイス、カラウグイスの名もありましたが今は使われません。
ただし現在チョウセンウグイスと言われている鳥があり、これはウグイスの亜種でウグイスより一回り大きく、朝鮮半島に生息しています。

万葉仮名が出来る前から鶯という字はウグイスに対して使われていました。文書や詩が全て漢文であった時代、漢詩の中で「宇具比須」は使えません。漢文時代に日本のウグイスに鶯の字を当てる習慣が既に出来たと考えられます。
そもそも万葉仮名ができる前、日本人は中国語の理解のために漢字を学んだのです。したがって、まずは漢文を日本語の意味に置き換える(翻訳する)ことが必要でした。つまり、漢文の中に「鶯」の字が出てきたらともかく日本語をあてる必要がありました。日本にはいない鳥です。
翻訳あるいは解釈は、なによりも意味を大きくはずれてはいけません。細かいニュアンスを伝えるよりも優先します。このことが「鶯」に「うぐひす」をあてた最初の理由と考えます。

    「鶯」=ウグイス とした古代人の知恵を想像してみる
         ====渡来人&日本人のミーティングの場面(空想)====

中国の書の中に「鶯」という字出て来たとき、「鶯」とは何かという日本人に対して、
  『「鶯」は日本にはいない鳥なので「オウ」としか言いようがありません。しかし、雰囲気としてはさしずめ、「うぐひす」あたりが近いのではないでしょうか?』
  『それでは「鶯」の字が出てきたら暫定的に「うぐひす(宇具比須)」と訳しましょう』

このような暫定から始まって、それよりも良い案がなければ時間と共に確定になってしまうのは世の法則です。
順序が大切です。日本のウグイスに漢字の「鶯」を当てたのではありません。中国語としての漢文の中に登場する「鶯」の字をウグイスの意味に置き換え、文章全体を理解しようとしたのです。

「鶯」をウグイスとしたことを当時の人々の間違いとするサイトがあります。
また当時は図鑑などもなかったので間違いだと気づかなかったと言うような同情的に捉える人もいます。これらのサイトは、ではどうするのが正しかったか、あるいはどうすべきであったかは書いてありません。
「鶯」にウグイスという意味を持たせる、当時として最善のアイデアだとは思いませんか?

私は、古代人が日本のウグイスと中国の鶯が異なる鳥であるという認識がなかったと簡単に決めつけることに疑問を持ちます。渡来人や遣隋使など当時の有知識層が日本のウグイスの囀りを聞いて、あれは中国の「鶯」という鳥だと言ったでしょうか。特徴的なウグイスのさえずりをコウライウグイスの囀りと聞き間違えるでしょうか
私は歴史を考えるためには当時の人々の感性や目線をも考えることが大切だと思います。
  
 平群庵:平群の里の侘び住まい