ウグイス考 うぐいす色(鶯色)の歴史(2) TopNatureウグイス考

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 木綿に向いているのは鶯茶、鶯色は木綿に不向きか(推理と仮説)
 
着物専門サイトの記述によると鶯茶は茶色が好まれた元禄時代に流行しましたが、鶯色が一般に普及したのは明治になってからのようです。(注1)
なぜ鶯色の普及が明治になってからなのでしょう、江戸時代には鶯茶と同様の市民権がなかったかのようにきこえます。鶯色は江戸の人々の好みではなかったのはなぜ。
ここから先は裏づけがないので感を頼りの推理になります。
(私の推理であって専門家の調査研究による結論ではではありませんのでご注意下さい)

一つには、木綿が鶯色の染色に不向きだったと考えられます。鶯色は鶯茶に黒味、緑を加えたような色です。鶯茶に見えるウグイスの羽毛部分の、光の角度が変わったときに見せる陰影と反射を伴う、いわば質感としての色合いです。鳥の羽、甲虫の前翅、蝶など、これらの生き物の見せる色の中には、色素によらない構造色という発色があります。薄いタンパクやキチン質の膜構造が特定の波長の光を選択的に反射するのです。人工物ではシャボン玉やCDが上げられます。ウグイスにはカワセミのような積極的な意味での構造色はないのですが茶色い羽が光の加減で緑色を帯びて見えることがあります。 これはウグイスに限らず例えばカラスのような真っ黒い羽でも青や緑を伴って見えることがあります。
本来暗緑色の輝きを放つ茶色が鶯色なのですが、顔料や染料で茶色に黒っぽい緑を混ぜた色は、おもいっきり汚いところを拭いた雑巾の色のようになります。光沢のない木綿の生地ではこの色を支えきれなかったと思います。
ただ、江戸時代に絹の反物も当然あり、、緑を帯びた鴬色の染色がなかったとは言い切れません。文献に残るような市民権を得たのが鶯茶でだったと言うことです。
 うぐいす色(鶯色)の歴史(1) で述べたように奢侈禁止令のせいでこの時代、明るく華やかな色や柄が使えなく、地味色の中でのニューファッションを展開するという特殊な状況にあり、元禄の反物商は苦労したことでしょう。微妙な色合いと模様で女心にせまる、着物デザイナーと染め師の働きは、茶色と灰色に多くの種類を作ってしまい、その数は四十八茶百鼠と言われるほどでした。(注2) その中にあって鶯茶と言う表現は茶系統色中の一つを意識させるために用いた言葉であって、染め色の話では鴬茶のことを単に鴬と言いました。
    ウグイス

艶やかな若鳥の羽の色。
この光沢は通常飼い鳥のウグイスでしか見ることができません。
絹の光沢と通じるところがあります。
写真は
ハーブの家庭料理
<ひるさいどはうす>
マスター&シェフの櫻井さん
撮影の迷い込みウグイスを保護したところ。

ここでの写真掲載の許可を頂きましたが、この写真の著作権は櫻井さんに帰属します。

   <ひるさいどはうす>
    http://hillsidehouse.jp/

 絹の時代 鴬色 緑化の兆し
奢侈禁止令下の木綿地の時代から明治に変わると絹の時代になります。輸出産業として生糸は次第に生産量を増し明治の末には日本は世界一の生糸輸出国になります。絹の着物が庶民に復活します。絹には特有の光沢があり木綿に比べて染着性がよいので色に深みが出ます。茶色が暗緑色を帯びるだけでは鶯色とはならず、絹の光沢と色の深みがあってはじめて鶯色といえる生地ができました。
ウグイスの羽色は茶色ですが光の角度によっては緑を帯びた光沢を発します。鶯茶から鶯色が分化したときにそのことが染め職人によって意識され若干緑が強調されたのが鴬色と名付けられた生地の緑化の第一歩ではなかったかと思います。
鶯色は鶯茶から別れ先に述べたJIS慣用色名に示されたとおりの色として今日まで染色産業等に引き継がれています。(注3)
 戦争は文化をも殺す
一方、ウグイスやメジロの愛玩飼育は昭和初期まで盛んでした。(注4) 小さな生き物を飼うことは庶民の数少ない娯楽でした。しかし、人々の生活の場から草花を愛でたり小動物を可愛がるささやかな楽しみが太平洋戦争によって一掃されます。色彩の世界も国防色が日本国中を埋め尽くすこととなり、鶯色の元を作っていた染料工場もその化学技術の転用で火薬工場に変わってしまいました。軍国の威圧はさまざまな文化を萎縮させます。芸術や娯楽という人の心のゆとりの中に育まれるものは個の成長に欠かせぬものなのですが、軍国主義者たちは個の目覚めを最も嫌い恐れました。暖かい色彩の世界の雅な鶯色は姿を消します。
ウグイスも鶯色も同時に人々の意識から消えてしまって戦後の混乱期がしばらく続きます。

注 1〜4 別ページに記載

続き→うぐいす色(鶯色)の歴史(3)