ウグイス考 | 花札の鶯 梅に鶯、ウグイスとメジロ | Top > Nature > ウグイス考 > |
---|
うぐいす色(鶯色)の怪 | うぐいす色(鶯色)の歴史(1) |
---|---|
「梅に鶯」は本当は「梅に目白」? | うぐいす色(鶯色)の歴史(2) |
花札の鶯 | うぐいす色(鶯色)の歴史(3) |
古代の鶯 | うぐいす色(鶯色)の歴史(4) |
デザインと写実を混同 目赤の目白 「梅に鶯」におけるウグイス、メジロ混同説の有力証拠として花札がしばしば引き合いに出されます。花札の梅に鶯の絵柄の小鳥は緑色をしている。あれは梅の花に蜜を吸いに来るメジロを描いたもので昔の人がメジロをウグイスと見間違えた証拠だと、自信を持って書いているサイトがあります。 「梅に鶯」という言い回しがいつ成句となったかは特定できませんが、江戸時代には定着し(注1)、その想いは既に万葉の歌に読まれています。ですから花札もそれを受けて梅に鶯を描いています。 ここで、絵柄の鳥がウグイスに見えない。あれはメジロだと断じる人もいますが、それはデザインと写実とを混同しているからです。デザインはデフォルメされています。実際に花札の中のツバメは極楽鳥風です。ツルは顔中真っ赤で丹頂鶴にはみえません。デザインを写実として判断材料にすることが筋違いなのです。 デザインとしての絵札を写実として論議すること自体が滑稽なのですが、梅に描かれた鳥を目白とする人は、メジロすらはっきり知らないようです。なにせ、花札に描かれている鳥は「目赤」なのです。 言葉だけでは判りにくいので実際を表示しましょう。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
梅に鶯 | 柳に燕 | 松に鶴 | 海にいるか |
昔も今もデザインはデフォルメだらけです。例えば、わたしのパソコンに住み着いているイルカは真っ青です。(右端図) このデザインされたイルカの色が実際と異なることをもって、ビル・ゲイツ氏や
マイクロソフトの人達がイルカを知らない証拠だと決め付けるとかなり恥ずかしいです。 花札の「梅に鶯」は緑色の羽なのでメジロを描いたものであると花札写実説を唱える人は、「柳に燕」に関して、昔の人が燕を何と言う鳥と間違えてこんな絵を描いたかと言うことも説明せねばなりません。 |
「花札のウグイスはメジロ」説-----説の体をなさず------ |
「花札に描かれたこの鳥はメジロであろうというのが定説です」などと書かれたサイトがあります。 「説」というのはある程度理論が構築され、主だった疑問に対して答えられる体裁を持っていなければなりません。「花札ではウグイスをメジロと見間違えたのでメジロを描いてしまった」と写実論を唱えるなら、同じ花札のツバメの絵も一体何の鳥かを説明する必要があるでしょう。あるいはウグイスのデフォルメは許せなくてツバメをこれほどにデフォルメしてもよい理由はなんでしょう。 更に、下に示すように、「梅に鶯」の絵柄は一種類だけではなく様々なバリエーションがあります。 緑色の鳥は梅にメジロでそれ以外の鳥の場合は梅にはウグイスで良いのでしょうか。「花札メジロ」説を唱える人はこのような問いに答えてほしいのですが、どなたも説明してくれません。 「花札メジロ」説を唱える人はひょっとして緑色の鳥を描いた花札しか知らないのでしょうか。 このような場合は「説」ではなくて「思いつき」です。しかも、無知なるが故の思いつきです。 「思いつき」は良いことです。考察し、理論を組み立て、「説」に発展させることができます。 しかし、「花札のウグイスはメジロ」は単なる思いつきの状態から脱していません。 にもかかわらず、このような「説」があるとネット上に並べ書く人もまた、自分が物知りであることの披露にとどまり、「思いつき」に何の吟味も加えず、右から左へ垂れ流すだけの役を果たします。 |
デザイン色々 花札「梅に鶯」
|
花札には色々なデザインがあります。花札の「梅に鶯」はメジロを描いている、という人はここに示す全ての鳥をメジロというのでしょうか。
緑色のデザインをメジロだというのであれば残りの鳥は何でしょう。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
難癖は楽しい? ネットの中で難癖の受け売りをしたがる人達 |
「梅に鶯」は「梅にメジロ」の間違いだ、と主張する人が花札メジロ説に飛びつく心理は分かります。 一種の理論武装でしょう。しかし、もともと「梅に鶯」は梅にウグイスが来るという意味ではなく、花札もまた、梅にウグイスを合わせる、という意図のもとでのデザインですからウグイス以外ではあり得ないのです。それが自分にはウグイスに見えないというのは勝手ですが、だからといって絵師がウグイスとメジロを間違えたと言いがかりをつけるのは無礼で横暴です。 しかし、「花札の梅に描かれている鳥は実はメジロである」 という花札だけを取り上げた内容の書き込みも数多く見られます。もっとも大抵はWikipediaを引用したり、どこかのサイトを見ての道聴塗説で自分の意見ではないようです。 花札にも描かれている『梅にウグイス』のウグイスとは実は『メジロ』のことだ、、ってーのは有名ですよね。 花札の“梅に鶯”あれって“梅に目白”なんですって・ 花札の梅にウグイス(と言われている)あの札、実はメジロだそうです!! 詳細はWikiってください 花札にも描いてあるウグイス色をした鳥は、実はこのメジロらしい。 花札に描かれたこの鳥はメジロであろうというのが定説です。 よく花札にもある梅に鶯。最近になって、よく知られるようになったが、鶯に見間違えたメジロだったという事である。 耳(目)にしたことを内容を確かめもせず垂れ流す、これも大衆情報時代の一面 ごみ情報 不快情報 有害情報が情報大河に増加し続けます。 一般の人にとって花札は単なる遊び道具です。 でも、どうしてたかが遊び道具の花札のデザインに難癖を付けるのでしょう? そして、なぜその難癖の受け売りをしたがるのでしょう? |
花札に描かれている鳥は「赤目」 それにしても何故「赤目」なんでしょう・・・、 「彩色の際に多種の色を使えない制約があって梅の花に使っている赤色を代用した」との推理は iwanacreek さん(http://iwanacreek.exblog.jp/10307392/) 実際に、花札の色はそれぞれ三四色あるいはそれ以下に抑えてあるものが多く、デザインですから単純化されています。 ウグイスに限らず小鳥の目は通常黒く見えます。目を丁寧に表現ときは白目の中に黒目を描きますが、 この描き方はメジロ風になります。それこそ、口の悪い江戸っ子に揚げ足を取られます。 赤目のウグイスはよく見ると目の中心に瞳があります。目を黒一色で塗りつぶすと、瞳が描けません。そうやって具体的にイメージすると羽を緑に塗り、しかもメジロではないと主張することを兼ねて目を赤く描いたウグイスのデザインは意表をつく面白さがあります。 他の札でも燕や鶴のシンプルで大胆なデフォルメ、シンボライズされた松、いずれもインパクトがあります。 「梅に鶯」は『梅に目白」を描いてしまっていると言う人達が燕や鶴にどのような突っ込みを入れるか聞いてみたいところです。 下に目と羽の色を変えた見本を並べます。デザインの優劣を写実的かどうかで決めようとする人にはすべてくだらない絵ですが、なぜ「赤目」かを検証するための一助です。 |
![]() |
なぜ「赤目」なのかを巡って二人が見出したキ−ワードは「江戸の遊び心」でした。 木版の重ね刷りによる技術的色数の制限、の中で花札デザイナーの描いた一枚が赤目のウグイス、勿論、当初は何種類ものデザインがあったはずですが淘汰されて残ったのが赤目、緑羽のウグイスでした。 このデザインのどこが評価されたか江戸っ子に成り代わって感じて(考えてではない)みようと思います。 |
|
(八) | 花札の絵は下手だねぇ、梅に目白を描いていやがる。 |
(熊) | ヤィ八公、てめえの目は節穴か、目白ってのはナ、目が白いから目白って言うんぢゃねェか。 こいつのどこがメジロでェ。 |
(八) | でもよう、うぐいすの羽はこんな色じゃねえ。 |
(熊) | そりゃお前、うぐいすだって「梅に鶯」って場は一世一代の晴れ舞台だ。役者衣装でめかし込んでんのよ。 |
(八) | えっ、うぐいすがめかし込むとこんな色になるか? |
(熊) | そーさな、満開の梅が舞台というに着た切りってな訳にはいかぬのう。そこんところを絵師が気を利かせたんじゃねえか。 |
(八) | じゃ、目赤はどうなんでぃ、まさか、紅が口に塗れねェので目に塗ったとでも言うか。 |
(熊) | 絵心のねえやつはこれだから困る。満開の紅梅の枝に止まったうぐいすには何が見える? |
(八) | そりゃ、梅の花だろ、どっちを見ても真っ赤な梅だ。 |
(熊) | そうだろ、お前がこっちからそのうぐいすの目ン玉見ると満開の梅の花が映って真っ赤に見える訳だ。絵師はそこまで描き込んでるんだハ。 |
というやり取りは空想ですが、江戸っ子の「メジロに似ている」の突っ込みを予想した花札デザイナーが突っ込みかわしに、まさかの赤目ウグイスという遊び心をぶっつけた。と推理できないでしょうか。 ともあれ、当時の時代や人々の生活を調べもせずに、そこだけを見て、あれは間違いだと言うのは軽率すぎます。昔の人の行いや考えにやたらケチをつけるより、どうしてそうなのか考えるほうが豊かになりますよ、と赤目のウグイスが語っています。 |
Wikipediaの花札 ウィキペディアも難癖の受け売りに加担する |
Wikipedia 花札 絵柄 の項には残念ながら次のような説明があります。 ※3:梅に描かれている鳥は実はメジロである。ウグイスの体は茶褐色と白であるが、昔から勘違いされている。 例によって、辞典にはあるまじき時代設定のない「昔から」という曖昧な表現でメジロとウグイスが勘違いされています。万葉の頃から勘違いされているのか、鎌倉時代なのか、それとも他の時代か検証されていません。 また、松に鶴についても「昔の画家」の間違いにしてます。 ※1:松に鶴の構図であるが、鶴は足の指のしくみや体重などで、松に乗ることは不可能である。実際に松に乗っていたのは実は「コウノトリ」とされているが、昔の画家がコウノトリを見て鶴と勘違いしたと考えられる。 と花札写実論を展開しています。(実際の絵柄はこのページの画像にあるように鶴は地上におり、松には乗っていません) |
(注1) 浄瑠璃 「お染久松 袂の白しぼり」の初演は1710年頃ですが下記のようなくだりがあり、「梅に鶯」のほか「紅葉に鹿」、「桐に鳳凰」の花札の絵柄と一致する言い回しが既にできあがっています。 柳櫻に松楓。梅に鶯 紅葉に鹿。竹に雀や花に蝶。籬(ませ)の八重菊蔦かづら。桐に鳳凰 獅子に牡丹扇ながし砂ながし蟲づくし草づくし。 |