中国杏和樱桃的栽培史略 注釈解説ページ | |
[31]耿鉴庭,刘亮.藁城商代遗址中出土的桃仁和郁李仁[J].文物,1974,(8):54. 商代遺跡で桜桃の種子、現代の研究者が<桜桃の種子>と言うのでサクランボの核、この遺跡は3500年 前というから、たとえサクラの漢字がなくてもその頃から中国にはサクランボがあったことになります。 [32]湖北省文化局文物工作队.湖北江陵三座楚墓出土大批重要文物[J] .文物,1966,(5):38. 戦国時代(紀元前200年より前)にサクランボが墓前に献げられたと推測できます。 [33](战国)吕不韦等.吕氏春秋(M) .上海:上海古籍出版社,1995.35. 呂氏春秋(りょししゅんじゅう) 中国の戦国時代末期、秦の呂不韋らが共同編纂し、秦の始皇8年(紀元前239年)に完成。 天文暦学や、農学理論など自然科学的な論説が多く、自然科学史においても重要な書物(Wikipedia) [32]において墓にサクランボが供えられたということは、 《吕氏春秋》にある「羞以含桃,先薦寢廟」の含桃はサクランボであってユスラウメではないという物的証拠になります。 しかしながら、例えば→ 呂氏春秋』巻第五仲夏紀 巻第五 仲夏紀 一 仲夏 には <是の月や、天子、雛を以て黍を嘗め、羞(高注:「羞じ」は進)むるに含桃(ゆすらうめ)を以てし、先づ寢廟に薦む。>と訳されており、これまでの日本での解釈は、含桃=ユスラウメを先祖の墓に献げたことになっているようです。 [34](晋)郭璞.尔雅音图· 释木第十四[M].北京:北京中国书店,1985. 『爾雅(じが)』は、中国最古の類語辞典、語釈辞典 前漢(紀元前 200年頃) 『釋木』の項に樹木類の解説があって ここで、含桃=樱桃とはっきり同定されています [35](梁)萧统.文选[M] .上海:上海古籍出版社,1998.53. 上林の賦(読み)じょうりんのふ「天子游獵賦」(紀元前138年頃) 作者:司馬 相如(しば しょうじょ、紀元前179年 - 紀元前117年)は、中国の前漢の頃の文章家 樱桃が果物として《上林賦》に記載されています。 [36](汉)刘歆.西京杂记[M].卷上.丛书集成初编本.上海: 商务印书馆,1935—1937.5. 『西京雑記』(せいけいざっき)は、前漢の出来事に関する逸話を集めた書物。内容は史実、噂話、など。 晉、しん、西暦0年前後の作品中に 樱桃、含桃の文字あり -----------------------------------☆------------------------------------- |