日本植生誌 近畿  宮脇昭 編著 (至文堂) 抜粋


4) 近畿の森林の特質
近畿の森林の特徴として第一にあげなけれぱならないのは,古くからの文化の中心の所在した地域であることから,今次世界大戦終了直後までわが国の木材需要の過半を占めていた燃材(薪と炭)として利用,農用林(主としてカリ肥料生産のための落葉落枝の利用,したがって森林における物質循環の経路しゃ断によるやせ山の成立)としての里山の利用が広い範囲に拡大して,アカマツを主とする森林,コナラ,クヌギ,アラカシ等からなるいわゆる雑木林などの二次林が,冷温帯林の上部を除く地帯に広く拡大していることであろう。その結果温帯の照葉樹林は、社寺境内林の一部にしか原形に近いものは残っていないのである。また暖温帯にも生育していた多様な落葉樹種(ケヤキ,エノキ,ムクノキ,アキニレ,コナラ,グヌギなど)からなる森林も二次林や屋敷林に樹種として残存するにすぎない。即ちほとんど総ての森林が二次林化しているともいえよう。さらに奈良県吉野のスギ人エ林に代表きれるように,山地住民の焼畑に由来したと考えられるスギ,ヒノキ等極めて限られた有用針葉樹種からなる林業地が谷間から中腹にかけての適潤肥沃地に多いことも特黴の一つであろう。特に紀伊半島は木の国ともいわれるように人工造林率が極めて高く,人工造林の至難な急斜地以外はほとんど人工林化してしまって,吉野,尾鷲などでは既に3代,4代と繰り返し人工造林を行なったことにより地力の減退した林地も生じている。人工林の拡大は現在停滞気味であるが、第二次世界大戦後木材需要の激増,それに伴う木材価格の高騰を背景として著しく進展し,林業政策的にも拡大造林が強く提唱されたのである。特に民有林の多い紀伊半島部はスギ,ヒノキの人工造林地が著しく拡大ざれている.天然林中温帯に属する照葉樹林,落葉広葉樹林を通じて森林としての特徴をあげると,これら広葉樹林に広く各種の常緑針葉樹が天然分布することであろう。温帯性針葉樹に関し概観すると,日本海気候に入る北部の多雪地ではスギが点状あるいは小群状に混生ずるのみであるが,中部以南になり瀬戸内気候,太平洋気候帯に入ると種類は次第に増し,気候の乾湿に対応して笋くの樹種が混生するようになる。モミ,ウラジロモミ,ツガ,イチイ,バラモミ、カヤ,トガサワラ,コウヤマキ・イヌガヤ,イヌマキ,スギ,ヒノキ,アスナロ,アカマツ,クロマツ,ヒメコマツなどがそれである。何れも高木ないし亜高木ヒして混生ずるが,多雪地ではチャボガヤ,ハイイヌガヤのように低木化した針葉樹種もある。日本海気候は概して多雪であるが,この地域にスギが混生するのは,その耐積雪性,即ち雪圧に耐える性質によるものと考えられ,多雪地のスギに特有な伏条性を持ち,母樹を中心として無性繁殖を繰り返し,所を得た伏条が直立生長して高木になるため、林内には多数の匍匐形の伏条スギが低木で存続している。ヒノキ,キタゴヨウなどが稜線沿いに成立する場合もあるが,これら樹種は雪圧には弱く,雪圧のかからない稜線にのみ生育可能である。中南部に多数種の針葉樹が混生している理由を急傾斜地や乾燥地の多いことに求められる。針葉樹は一般に広葉樹に比べ乾燥に強いことは,その葉形をみても理解出来る。上記したように南部の沿岸山地は多雨にかかわらず,蒸発散量が多いためか乾燥地が多い.また中南部地域,特に紀伊山地は急斜地が広く分布しているが,急斜地は表土の移動がはげしいため土層がうすく,乾燥化し易いので,概して広葉樹類の旺盛な生育は困難である。その結果乾燥に比較的強い針葉樹類がこうした微地形を利用して成立,存続することが可能になったのであろう。現代の質候は広葉樹に適した気候といわれ,針葉樹の大部分は亜寒帯(亜高山帯)の広葉樹には不利な気候帯へ追いやられているが,この地域では微地形的な乾操地域が温帯にも多数個所分布ずるため,多数種の針葉樹が湿帯でも生育しうるニッチェを得ているのではないかと考えられる。亜高山帯は大蜂,大台に限って小面積に出現するのみであるが,大峰には縞枯れ現象の認められるシラベ林がある。大台ヶ原にはトウヒ林は現存するが,シラベ林は認められない。人によってばクマの皮はぎの告により絶滅したともいうが,現状からはシラベ林があったという証拠はない。


3) 後期更新世末(最終氷期)の植生
後期更新世末に地球的規模で訪れた寒冷気候は、最終氷期ともウルム氷期ともいわれ、それに対応した植生が存在したことで、わが国でも広く知られている。この時期は地質学上の編年では後期更新世末に相当し、約60,000年前〜10,000年前のことである。
近畿地方では、この寒冷気候下の植生変遷を追跡しうる年代測定値を伴なった連続推積物の採取は、琵琶湖、京都盆地、大阪湾などで試みられている。しかし充分な年代測定値は得られていない。とくに60,000〜40,000年前の情報が少く、したがって、それ以降の古植生変遷の概要を紹介する。Tab・3は、最終氷期後半の近畿地方低地帯における森林植生を概括したものである。これは年代区分からもわかるように1万年、あるいは千年間隔にとったあくまで概括表であり、推定される植生帯や花粉化石帯区分に正確に対応するものではない。
これによれぱ最終永期の最寒冷期(20,000〜18,000年前)には、近畿地方の低地帯には、いわゆるブナ帯の名で総称されている温帯落葉広葉樹林型の森林はなく、亜寒帯針葉樹林型の下限を構成する森林が発達していたことが注目きれる。最終氷期を通じて、このような寒冷期が3万年代と4〜5万年代にも存在したと推定する説はあるが、現在のところ積極的にそれを裏付ける資料は少い。最寒冷期をのぞく期間には、近畿地方低地帯は、温帯落葉樹林型の森林が形成されていた。以上の最終氷期の植生を要約すれば、最寒冷期には、現在の原植生である照葉樹林帯にくらぺて、2帯離れた北方要素の亜寒帯針葉樹林帯が南下、または降下していたが、その他の時期には、温帯落葉広葉樹林要素の森林によって、近畿地方の低地帯は構成きれていたといえる。
4) 完新世(後氷期)の植生
現在に続く最も新しい地質時代である完新世(1万年前以降)に入ると、14C年代や広域火山灰などの年代に裏付けられた連続堆積物が、大阪平野、京都、近江盆地などをはじめ近畿地方各地から得られている。こうした資料に基いた花粉分析学的研究によれば、近畿地方低地帯の植生変遷は大きくみて、前半の落葉樹林時代と、後半の照葉樹林時代に区分される。落葉樹林時代は、コナラ林(T)と、コナラ、エノキ・ムクノキ林(U)に、また照葉樹林時代はカシ・シイ林(T)と、カシ・シイ、マツ・スギ林(U)とに区分できる。この古植生区分は中村によって提唱された完新世の花粉化石帯RI、RT-U、RU.RVにほば対応するものである。以下に主な地域の植生変遷について述べる。
 a:大阪平野

近畿地方低地帯のうち古植生の研究がもっとも多く行われたのは大阪湾岸を含めた大阪平野(MAEDA 1976、前田1977、安田1978、古谷1979)である。ここでは植生変遷の過程を追跡しうる年代測定がかなり詳細に行われている。花粉化石帯の細かな区分は研究者によってそれぞれ異なるが、上述の4期に大別する内容では大きな差異はない(Fig.18-21)。
(1) 落葉樹林時代(10,000〜6,500年前)
  落葉樹鉢T期コナラ林(10,000〜8,000年前)
更新世最末期の11,000〜IO,000年における大阪河内平野では、マツ(五葉松型)属、コナラ亜属、ブナ属、シデ属、ニレ−ケヤキ(型)属、カバノキ属、ヅガ属、モミ属、トウヒ属などで構成きれる森林が形成されていた。10,000年前以降は、これらに代ってコナラ亜属(たぶんコナラ)を優占樹とする落葉樹林に急速に移る。コナラ亜属のほか広葉樹にはブナ、シデ、ニレ−ケヤキ、エノキ−ムクノキ、 ハンノキなどの各属、針葉樹ではマツ(二葉松でたぷんアカマツ)、モミ、ツガ、コウヤマキなどの各属が低率であるが伴出する。コナラ亜属の出現率は地域差は認められるものの40〜60%に及ぶ高率である。このコナラ亜属をミズナラと仮定すれば、伴出種にはブナ属やカバノキ属が多く検出されるべきであるが、出現率は極端に低い。したがってコナラ亜属とされる花粉粒の母樹はコナラに推定される。
 落葉樹林U期 コナラ・エノキ−ムクノキ林(8,000〜6,500年前)
   コナラ亜属は減少の傾向を示すものの、依然として中核をなす樹種である。これに加わってエノキ−ムクノキ型の花粉化石が急増する時期である。コナラ、エノキ−ムクノキのほか、シデ、ハシバミ、ニレ−ケヤキ、ブナの各属に加え、新しくアカガシ亜属が増加しはじめ、針葉樹ではマツ、モミ、ツガ、コウヤマキの各属が低率であるが伴出する。優占樹のコナラ亜属は30一.40%前後の出現率であるが、エノキ−ムクノキ型の花粉化石は地域差はあるが10〜20%の範囲で認められる。しかし花粉粒の外部形態上は、エノキ属とムクノキ属との識別は難しいために、花粉分析の報告では通常エノキ−ムクノキ属として表現きれる。この落菓樹林U期の場合、他の伴出属から推定してエノキもムクノキも両種が含まれていると思う。環在の近畿地方の低地帯には陽樹であり河辺林をつくる樹種のエノキ、ムクノキは散見されるものの、この期のようにコナラに次いで森林の優占樹種の位置を占めている状態は見られない。しかも興味あることは、このエノキ−ムクノキ林の繁栄した期間は、1,500年〜2,000年間で、地史的な植生変遷としては比較的短い期間である。この期間は、コナラを中心とする落葉樹林からアカガシ亜属の照葉樹林へ移行するつなぎ的な傾向の読みとれる点が興味深い。後述するように、このエノキ−ムクノキ林は、現在のムクノキ−エノキ群集(本誌第3巻四国、1982、同第4巻中国 1983)に相当する可能性が高い。大阪平野のみならず、京都、近江、奈良盆地でも認められるが、この傾向は東海、関東地方の低地部にも及んでいる。現在のところ、このエノキ−ムクノキ林に関する古生態学的研究は進んでいないが、現在までの資料からは短期間ではあるが立地の湿性化に対応して一定の森林帯を形成していたと考えられる
(p.143-146参照)
2) 照葉樹林時代
   照葉樹林T期 カシ・シイ林(6,500〜2,000年前)
7,000年代に入ると、コナラ亜属を中心とし落葉樹林は急速に減少に向い、それに代ってアカガシ亜属を中核にシイ、ヤマモモ、イヌマキ属などを伴う、いわゆる照葉樹林を形成する樹種群が急増しはじめ、森林植生は大きな変遷期に入る。花粉化石の出現率でみるとコナラ亜属とアカガシ亜属とは6,500年頃に入れかわっている。ちょうどこの時期に南九州の薩摩硫黄島付近の鬼界カルデラから噴出したアカホヤ火山灰が日本列島をおおうが、その噴出時期は約6,300年前である。この広域火山灰であるアカホヤ火山灰は、最近近畿各地の花粉分析を目的にしたボーリングコアからも発見されており、年代指示層として重要な役割を果たしている。大阪平野ではこの6,300年前にはアカガシ亜属は完全にコナラ亜属を上回る出現傾向を示し、照葉樹林が本格的に定着したことが明らかである。ただ現在の近畿地方の照葉樹林はカシ、シイのほか主要樹種としてヤブツバキやタブノキなどのククスノキ科の樹種があげられる。しかしクスノキ科の場合、どのような理由によるものかクスノキ科に共通して花粉粒は化石として保存されない。またヤブツバキは虫媒花粉であり、かつ花粉粒の生産量が少ないためか、殆ど花粉化石として検出されないのが通例である。花粉分析で照葉樹林を議論する場合、この両グループの挙動を把握し得えぬ状態での議論がなきれていることが多い。ヤプッバキと同じ虫媒花粉とされているシイは花粉生産量が多いことと、たぶん被度面積が大きいことによるのであろう花粉化石粒を計数処理できる範囲で検出される。
前述したコナラ亜属とアカガシ亜属の交代を大阪付近の試料に基いて花粉化石粒の出現比でみると、約7,500年前にはコナラ亜属 10:1 アカガシ亜属であった値が、約6,500年前には1:1に両亜が属拮抗し、約6,000年前では1:7〜1Oとなり明ら加に逆転して、落葉樹林から照葉樹林への移行の状況が明確に追跡できる。
この移行期の照葉樹林はアカガシ亜属のほか、モミ、ツガ、マツ、スギ、コウヤマキ、シイ、イヌマキ、コナラなどの各属が伴出するが、さらにヤブツバキ、クスノキ科の樹種も加わって森林が構成されていた。このような構成の森林がほぼ2,000年前まで続く。
   照葉樹林U期 カシ・シイ・マヅ・スギ林(2,000年前〜現在)
この時期はアカガシ亜属、シイ属中心の照葉樹林を基調にしながら、マツ属(二葉松)、スギの増加で特徴づけられる。とくにマツ属は場所によって非常な高率(50%以上)を占める場合が圧倒的に多い。大阪平野の場合、河内平野羽曳市古軌大東市深野、大阪市天保山、尼崎市武庫川口などでは高率出現が認められるが、尼崎市左門殿川口などでは低率の場合もある.スギの場合は、マツ属に比べると低率であるが、2,OOO年前より着実に増加する。マツ属の突発的な急増の原因は、弥坐時代の農耕地拡大による照葉樹白然林の減少と1二次植生としてのアカマツ林の増加が、多くの研究者から指摘されている通りである。マツ属の増加期をもって花粉化石帯のRV帯とする意見もあるが、このマツ属急増の原因が入為的遷移である以上、この時期までの花粉化石帯や森林期の区分とは分帯基準は異質なものになり、統一性を欠く。筆者はマツ属が急増する中にあってスギも増加の傾向をみせる約2,000年前を照葉樹林U期とした。ごの時期は、弥生の小寒冷期、弥生の小規模な海面低下期とも一致する。マツ属、スギのほか微増の傾向を示すものにモミ、ツガ、コウヤマキ、ブナ、エノキ−ムクノキ属がある。草本植物ではイネ科花粉が爆発的に急増し、低湿地における水田耕作拡大を裏付けるものである。

   b.京都盆地

京都市北部に位置する深泥池では更新世の一部から完新世にわたる堆積物が連統的に採集され、それに基づく花粉分析がなされている(深泥ケ池団体研究グループ1976a、 b、中堀1981)。中堀はこの連続堆積物から5つの森林時代を区分しているが、最下部の針葉樹林時代は更新世に属するので、ここでは完新世の4つの森林時代とそれらの移行林期を紹介する。なお、この研究ではアカホヤ火山灰(約6,300年前)以外の年代は得られていないので、各森林時代の区分は、ボーリングコアの深度別に示した(Fig.22)。
 (1) コナラ亜属時代
コナラ亜属を中心に、アカシデ類やブナ属の多い落葉樹林の発達した時代である。これらのほかにシナノキ、カツラ、キハダ、エノキなどの高木性落葉樹や、ネズミモチ、ハゼ、フサザクラ、ガマズミ類などの低木も知られている。
 (2) コナラ−エノキ移行期
コナラ、アカシデ類 ブナは減少し、エノキ、ケヤキ、ヒノキ型、イヌシデ、クリ、イヌブナなどが増加している。ミズキ、エゴノキ、コクサギ、ヤブツバキ、シキミ、アオキなどが出現しはじめる。
  (3) エノキ時代
ユノキが優占するが、次いでコナラ亜属が多い。そのほかヒノキ型、イヌシデ、ケヤキ、モミなどが認められる。アカガシ亜属も一時的に増加する。コナラ亜属はアベマキ、クヌギである可能性が強い。この森林時代は現在の暖湿帯落葉樹林に近い構成である。
 (4)アガガシ亜属時代
エノキ、コナラ亜属は滅少し、照葉樹林の極相種であるアカガシ亜属、シイが増加し、優占樹となる。アカガシ亜属は、コナラ亜属時代の直前の針葉樹−コナラ亜属移行期−に現われ、それ以後低率ながら継続して出現していた。エノキ、コナラ亜属と完金に交代するのは、アカホヤ火山灰層の層準であり、約6,300年前のことである。この交代期は大阪平野の場合とほぼ同時期である。
  (5)マツ時代
アカガシ亜層、シイが減少し、マツが増加する。マツの増加は人間による照葉樹林の破壊が原因である.深泥池ではマツ増加開始期から栽培植物であるソバ科花粉が連統的に出現することから水田耕作に先立って焼畑耕作の行われた可能性が考えられる。
  c.近江盆地

琵琶湖の東部に位置する彦根市近くの曽根沼の湖底堆積物に基いて花粉分析が前田・松下(1974)によって行われている。この堆積物の年代測定は現在も測建中であり研究は完了していない。しかし従来、近江盆地は完新世を通じて年代に裏付けられた古植生史の研究がなかっただけに、こごで中間報告の形で紹介したい(Fig.23)。
曾根沼の堆積物は大部分がピート(泥炭)である。深度9mの年代が12,260+130年前と測定されており,約10,000年前から現在にいたる情報が得られた。年代と花粉化石の出現状況から推定すると,a帯のマツ,ツガ,モミ トウヒ、カバノキ,コナラなどの各属が多い期間と,これにつづくカバノキ,シデ,ハンノキ,ブナ、コナラ属などの広葉樹が優勢なb帯とは,10,000年前の更新世最末および一部は完新世初葉である可能性が強い。ここではC帯以降の4帯に基いて得られた古植生の変遷について考察されている。
  (1)落葉樹林時代(10,000〜6,000年前)
   落葉樹林T期ゴナラ亜属林(10,000〜8,000年前)
コナラ亜属が60%近い高出現率を示している。マツ、スギ、クルミ、シデ、ハンノキ・ブナ、クリ属などが低率であるが安定して出現する。大きい変化としてはコナラ(たぶんコナラ)亜属が圧倒的に優先することのほかカバノキ、ブナ、シデ、アカガシ亜属が減少の傾向を見せることである。クルミやスギ、クリなどの属が低率であるが一時的に増加の傾向が認められる。

   落葉樹林U期 エノキ、アカガシ亜属、コナラ亜属林(8,000〜6,O0O年前)
エノキ−ムクノキ型、アカガシ亜属の花粉化石が急増を示し、コナラ亜属の減少が目立つ。この他モミ(たぶんモミ)、マツ、スギ、シデ、ハンノキ、ブナ・ニレ−ケヤキ型、カエデ、 トチノキ・ トネリコ属などが知られる。全体的にみれば、暖湿帯落葉広葉樹林要素の濃い森林であるが・コナラ中心の落葉樹林からアカガシ中心の照葉樹林へ移行していく過程が明瞭に現われている。なお深度6・5mの層準にアカホヤ火山灰層が認められ、この時期にアカガシ亜属はコナラ亜属をしのぐ出現率を示している。
  (2)照葉樹林時代
    照葉樹林T期 アカガシ亜属・スギ林(6,000〜2,000年前)
アカガシ亜属が断然高い出現率を示す本格的な照葉樹林時代である。これに次いでスギが目立つ。しかし、この問題はスギ林の立地上、曾根沼付近が適していたローカルな現象であるのか、琵琶湖岸地域に共通する現象であるのか今後の問題としたい。そのほかモミ シデ、ハンノキ、ブナ、コナラ・クリ−シイ型、ニレ−ケヤキ型、エノキ−ムクノキ型、カエデ属などが認められるが、大阪平野や京都盆地などで極く低率であるが検出されていたイヌマキとヤマモモ属が殆ど伴出しないことおよび、マツ、ヅガ、コウヤマキ属などの針葉樹が低率を示すことが、完新世の最暖期を含む時期における近江盆地の古植生を考察する上で重要な意味をもつようである。

   照葉樹林U期 スギ、マツ、アカガシ亜属林(2,000年〜現在)
他地域でもマツ属の急増が知られているが近江盆地でも同様の傾向が認められた。そのマツ属の急増期はいつなのかは目下14C年代測定中で、その緒果をまたねばならない。他地域との関連からほぼ2,000年前と推定きれる。ただ、ここではマツ属以外にもスギがこれを凌ぐ出現率を示していることや、アカガシ亜属もこれらとほぼ似た出現率を保ち、当時の森林構成の基本要素はアカガシ亜属を中核とする照葉樹林であることを示す事実は興味深く、かつ重要である。また、この時期、とくにその初葉にモミ、ツガ、ハシバミ、カバノキ、ブナ、コナラ亜属などがスギの増加とともに増加の傾向を示すのは、小規模な寒冷気候の影響をうけたためと恩われる。なおマツ属の急増は水田耕作地の拡大に伴って原植生に変化が生じたためであろう。
 d.奈良盆地・曾爾高原

奈良盆地の完新世の植生変遷を連続的に追跡できる試料は現在のところ充分得られていない。断片的に完新世の堆積物が採取されて、それらの花粉分析学的研究は行われているものの、完新世全般にわたる考祭は困難である。これまでの報告によれぱ、完新世の最暖期には大阪、京都・近江盆地などと同様に照葉樹林に広くおおわれていた(Fig.24).
奈良県東部には紀伊山地の一部に含まれる室生山地内の曾爾高原の各地に小規模な泥炭湿地が分布する。高度は600〜70Omで低山帯に属するが、最近相次いで池ノ平湿原(松岡ほか1983)と亀池湿原(竹岡ほか1982)で花粉分析が行われた。両地点は距離的には近いが火山地形特有の地形に支配されているためか、古植生にはかなりの差が認められる。ここでは局地的な植生変遷の問題もさることながら、より共通する全般的な古植生の傾向を、いちおう池ノ平湿原の結果を例として紹介したい。
  (1) 落葉樹林時代 コナラ・カバノキ・ブナ林(10,000〜8,000年前)
コナラ亜属が高率を占め、カバノキ、ブナ、ケヤキ、シデ、エノキ、ハシバミ属などがこれにつづく。池ノ平湿原の花紛帯TR U、お亀池湿原のブナ・コナラ・シデ時代がこれに相当し、更新世最末葉の亜寒帯針葉樹林が後退したあとへ落葉広葉樹林が移行してきた時期である。モミ、マツ属などの針葉樹は低率である。

  (2)中間温帯林時代 モミ・マツ・コナラ亜属林;(8,000〜6,000年前)
コナラ亜属は依然として森林の中核を占めている.しかしカバノキ、ブナ属は減少して、それに代ってモミ、マツ、スギ、コウヤマキなどの針葉樹が増加するとともに、アカガシ亜属、ケヤキなどが増加する。この森林構成は、いわゆる暖温帯落業広葉樹林または中間温帯林といわれている現生の森林帯に近いものである。池ノ平のTR V、お亀池のモミ・コナラ林時代に相当する。

  (3)照葉樹林時代
照葉樹林T期アカガシ亜属・モミ林(6,000年〜現在)
コナラ亜属が急減し、これに代ってアカガシ亜属が急増、安定期に入る.両者の交代期だけを見れば6,300年前のアカホヤ火山灰層降灰期に一致する。ただアカガシ亜属が安定して高率の出現傾向を示すのは、少し遅れるようである。針葉樹ではモミ属がこの期間を通じて安定した出現傾向を示す。中間温帯林的要素を残すものの、本格的な照葉樹林が定着したとみてよい。池ノ平のTR IV. V、お亀池のモミ・クリ時代とアカガシ亜属・モミ時代がこれに相当する。ただ次期との境界を示す年代が知られていないので、これは今後の問題としたい。

  (4)照業樹林U期 マツ・アカガシ亜属林(〜現在)
お亀池湿原ではアカガシ亜属、モミ属の急速な減少と入れ代ってマツ属が急増する変化のパターンは明瞭である。その時期の年代は不明であるが、他地域と共通して認められるアカマツ急増期であり、歴史時代としている。いっぽう池ノ平湿原では、表層部までアカガシ亜属が優占する傾向を示している。この地域での人類の生産活動が他地域に比べて遅れたために、原植生のアカガシ亜属を中核とする照葉樹林が残存した貴重な例である。お亀池のマツ時代、池ノ平のTRVの一部とTR-Yとがこの時期に相当する。