平群と歴史
平群は歴史の町です。
平群(へぐり)は大阪の東、生駒山を越えた奈良県側に位置します。
法隆寺のある斑鳩町と隣接しているといえばお判りでしょう。
その昔、大阪平野の多くが海だった頃、倭建命がこよなく愛した所です。
倭建命が病に倒れ最後を迎えたときの歌が古事記にあります。
  倭は 國のまほろば
  たたなづく 青垣(あをかき)
  山隠(やまごも)れる 倭しうるはし

  命の 全けむ人は
  疊薦(たたみこも) 平群の山の
  熊樫が葉を 髻華(うづ)に挿せ その子
「たたみこも」は「へ」、または「平群」の枕詞です。
「あをによし」が奈良の枕詞のように枕詞を持つ地名はまれです。
ヤマトタケルノミコト=倭建命(古事記)=日本武尊(日本書紀)ですが、
彼の配下には平群人が多かったのかもしれません。
今様には、「ヘグラー」と自称する?平群人。
かつては「ヤマトタケル&ヘグラー」は最強の軍団だったのでしょうか。
もうひとつ
平群を流れる竜田川は業平によって
ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは
と歌われています。
平群は地名としては稀なのですが、「平群」で検索すると6〜7000件もヒットします。
意外によく知られているのかな?
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追記:
その後、平群は全国的に有名になってしまいました。
小学生女児誘拐殺人事件で死体の遺棄現場となった2004年、平群はマスコミに大きく取り上げられました。多いときにはヘリコプターが5機も現場の上空を舞っていました。
人通りがあまりないところなので、私は虫や野草の写真を撮りに時おり歩き回った所でしたが、その後行かなくなりました。
2005年にはテレビ局の喜ぶ映像ターゲットとして騒音おばさんが登場、へぐりと読めない人は殆んどいなくなったようです。

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